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スペシャルインタビュー
慶応義塾大学 SFC研究所上席所員 高橋 俊介

1954年東京都生まれ。
東京大学工学部航空工学学科卒業、米国プリンストン大学工学部修士課程修了。
日本国有鉄道(現・JR)、マッキンゼー・ジャパンを経て、89年に現在のワトソンワイアットに入社。93年には同社代表取締役社長に就任。97年に独立しピープルファクターコンサルティングを設立。
2000年から、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授も努め、現在は、慶応義塾大学SFC研究所キャリア・リソース・ラボラトリー上席所員を務める。
おもな著書に「キャリアショック」(ソフトバンククリエイティブ・SB文庫)、「人材マネジメント論」「成果主義」「組織改革」「キャリア論」(以上、東洋経済新報社)、「人材マネジメント革命」「キャリアをつくる9つの習慣」(以上、プレジデント社)、「人が育つ会社をつくる」(日本経済新聞社出版)、「組織マネジメントのプロフェッショナル」(ダイアモンド社)、「いらないヤツは一人もいない」(祥伝社黄金文庫)、「スローキャリア」(PHP文庫)、共著に「部下を動かす人事戦略」(PHP新書)など多数ある。
高橋先生のキャリア 〜航空工学科から国鉄へ(好きなことと仕事との違い)〜
『これまでの高橋先生のキャリアをお話しいただけますか。』
今は色々なキャリアの方がコンサルティングの仕事をされていますが、少なくとも私が1978年に就職した頃は、新卒でコンサル会社というのは事実上ありませんでした。そもそも、そんな業界の存在すら知らない。
元々私は飛行機が好きだという単純な理由で学部は航空工学に行った訳ですが、当時の理系の就職っていうのはだいたい行くところはメーカーと決まっている感じでした。それでいくと当然メーカーに行かなきゃいけない訳ですが、私は新卒で国鉄に行きました。まぁ毎年何名かはメーカー以外に行きますので、そのようなキャリアも少しはあるんですが、航空工学科を出て何で国鉄に行くんだ、お前には飛行機の作り方を教えたのに、みたいなところはありましたね。で、何でだって言われて、いや電車好きなんで、飛行機も好きだけど電車も好きなんでという感じで。(笑)ですので、エアラインでも良かったんですが、当時はエアラインはなかなか入るのが大変でコネがないと難しかったですから、逆に完全に公務員に準じていて試験で入れる鉄道は或る意味フェアでした。それで鉄道も好きだったので、結局鉄道に入ったという、単純に言うと好きを仕事にしたというだけの事でした。
で、まぁ、入ってみてから分かるんですけど、鉄道が好きだという事と鉄道の仕事が向いてるという事は全然違うという事を思い知る訳ですね。(笑)
これは色々なところで思い知りました。国鉄には技術屋として入ったつもりですが、そうは言っても「技術屋でもキャリアとして入ると組合関係の仕事とかが結構多いよ」という話はちらっとは聞いていました。しかし、そんなの学生の時はイメージ出来ないじゃないですか。で、入ってみた当時はいわゆる国鉄の労働組合との本当に戦いですよね、まさに。大変な修羅場の現場ですよね。そりゃあ、元々事務屋で入った人は覚悟していたかもしれませんが、私は一応技術屋ですから、この組合関係には「えっ!?」って思ったところが相当ありました。
それから鉄道っていうのは物を作る訳ではない。オペレーションですからね。非常に正確にオペレーションする大きなピラミッド組織です。だからまぁ、そういう仕事を行う組織の中ですから、技術的な仕事も多少1年くらいしまして、それは結構面白かったんですが、でもどっちかと言うとそのまま管理の仕事になっていく訳で、マネジメントにいく訳ですから、それも何かな、というのがありました。
高橋先生のキャリア 〜プリンストン大学留学からマッキンゼーへ(若いうちだから取れるリスクもある)〜
それで留学を考えました。ただ留学も理系なんですよね。留学は一回だけしていて、プリンストンですけど、プリンストンっていうのは、ご存知かもしれませんが、プロフェッショナルスクールを一切持たない大学です。だからビジネススクールもメディカルスクールもロースクールも一切ないという非常にアカデミズムに徹した大学で、さらに確かアメリカの大手の大学の中で一番古い方に属する大学だったと思います。
そこに敢えて行って、工学部・エンジニアリングだったんですが、オペレーションズリサーチというのをやりました。航空学科の時も物作りというよりは、いわゆるオートパイロットなどの操縦系の卒論をやっていました。要するにシミュレーションですよね。私は、エンジニアには二通りあって、手を汚すエンジニアと汚さないエンジニアというのがあると思っています。何かと言うと、物作りが好きでエンジニアリングになる人と、頭の中で考えるのが好きだという、要するに、エンジニア。OR(オペレーションズリサーチ)とかシミュレーションとか最適化とか、私がやっていたのは全部それなんですよ。要するに全部全く手を汚さないんですよ。かっこよく言えば手を汚さず頭だけ使うエンジニアとなりますが、悪く言えば理屈倒れのエンジニアとなる訳ですけど(笑)、どっちかというと私は、論理的にものを考えてシステマティックに体系的に考えるっていう事が好きなエンジニアで、物を触って作るのが好きというエンジニアではなかったですね。
ですので、結果的に見ると、私はメーカー行かなくて良かったなと感じたりもしますね。
それで、結果的にどうなったかと言いますと、プリンストンの後にマッキンゼー入った訳ですが、結果論ですけど、それは良かったのかもしれないですね。
ただ、29歳でマッキンゼー入ったんですが、当時は何も考えていませんでしたね。(笑)
話すと長くなっちゃうんですが、プリンストン卒業時の就職活動では、アメリカで仕事するつもりだったんでレジュメを沢山何十通も出したんですよ、ただやっぱり当時の80年代アメリカは景気が悪かったし、研究職みたいなことをやりたかったのでメーカーの研究所とかに出すんですが、やっぱりマスターでは不十分だし、ビザもないから、だいたいもうはなから駄目なんですよね。で、もう諦めかけていたらたまたま一社だけ外国人可という会社があって、ただ以下の国に限るって書いてあって、将来は国に帰って貰うかもしれないけどと書いてあって、それは丁度いいじゃないかと思って見たら社名がマッキンゼーって書いてあったんですね。でも「知らねーよこんな会社」って感じですよ。(笑)ましてやエンジニアですしね。それで、アメリカ人の友達にこれはまともな会社かって聞いたら、いい会社だよって言うから、じゃあそれならって出したのがきっかけですね。
で、そのレジュメがたまたまニューヨークから東京に回って来ていて、私がたまたま一時帰国していた時に東京の事務所から電話が掛かって、「君、うち受けてる?」って言うから、そういえば昔レジュメを出したような記憶しかなく、沢山出したうちの一つですから忘れていました。それで、「面接する気ある?」って言うんで、まぁどうせ帰国してる時で暇だし一回行ってみようと思って面接を受けに行って、そして最初に会ったのがコンサル業界の重鎮でもう引退された若松さんという方でした。最後には大前さんとも面接しましたね。
それで色々話してるうちに、「どう、うち来る?」という話になって、なんか仕事として面白そうだし、給料も良さそうだし、じゃあ行きましょうかって話しになりました。マッキンゼーが決まる前は、アメリカに戻って教授の会社に勤めるつもりだったんですよ。向こうはよくありますが教授が会社を持っていて、そこで暫く1,2年はやるつもりでした。当時は1ドルが240円の頃ですから、向こうの給料にしたら大した給料じゃないんですけど、日本人にしたらまぁまぁ悪くなくて、向こうでちゃんと生活出来る給料でした。
それで、向こうに戻って教授に、「すみません、やっぱり日本に戻る事にしました。マッキンゼーって会社です。」って言ったら、「お前あんなとこ行ったらこうやってギャーってやられるんだよ!」って言われて、「えーっ!!本当ですか!?」ってビックリしちゃって、お前大変な思いするぞって言われて、本当?って思いながら日本に戻って来て入社したら、最初の1年のうち一番働いた月は500時間働いてた時がありましたね。今はそれほど酷くないみたいだけど、当時はまぁ400時間は普通でしたよね。
だからつくづく思いますけど、若いうちは知らないから取れるリスクもある。世界は分からないんだからさ、考え過ぎて分かったような気になったり、理屈で就職考えてるような奴は、ロクなことにならないね。あんまり調べても中途半端なんですよね。だから29歳で知らないからこそ取れるリスクをとって、とんでもない世界を知った訳ですよ。経営ですからね。そりゃ、MBAではないですから、えらい勉強しましたよ。大変勉強になりましたけどね。
そこでただ思ったのは、経営というものに興味を持つという事よりも、経営は経営で勿論勉強にはなりましたが、コンサルという職種、つまり、人に話をする仕事、というのが私は好きなんだな、ということに気付きましたね。例えばプレゼンのようなものが、嫌いな人は嫌いなんですけど、私はもう「これ(プレゼン)が好きだな」みたいな感じになってきて、大学の講義にも繋がっています。
それで、キツかったってのもあるんですけど、3年でマッキンゼー辞めました。理由は色々言うと長くなるんですが、ジェネラルマネジメントコンサルティングではなくて、もうちょっと専門性が持てるところにしたいなというのも理由の一つとしてあったんですけど、基本的にはマッキンゼーを3年で辞めたのは結婚退職と言っています。これは事実で、一時期若いうちは忙しいことは良いいいんですよ、死ぬほど働くのも良いんです。しかし、結婚してみてその時に気付いたんですが、結婚して最初の何年間かずっとそういう事やっていると、後でロクな人生にならないと。やっぱり若いうちにちゃんと夫婦関係を作るだけの時間を持つのもとても重要だという事に気が付いてですね、結婚したから辞めるって言ったんですね。どうして辞めるんだって言われて、いや皆さんみたいな夫婦になりたくないからだって(笑)、まぁ、これは冗談ですがそんな事を言って辞めました。
だから、マッキンゼーのあの時代の人達の中で、私の働き方は珍しいワークライフ系だと思われてると思います。
普通もっと上昇志向が強いはずなのに、珍しい奴だと。まぁ、普通そうですよね。UP or OUTですから頑張ろうと思って来るわけですから。ですが、私は何も知らないで入りましたから、そこは全く向いてなかったということです。UP or OUTって全く自分に馴染まないし、頑張れば来年良いもの見せてやるって言われても、「すみません、それ4年くらいでいいんです。ゆっくりやりたいんですけど。いや給料上がんなくていいですから」って言うと、「お前みたいな事を言う奴は珍しい」と言われましたが、頼むから急がないでくれ、のんびり、ゆっくりやらせてくれと言ったんですけどね。いや上をもっと早く目指すんだ、って言われたら、何故早くなきゃいけないんだ、私は納得出来ない、と随分そういう話をした覚えがあります。
いずれにしてもそれで一旦辞めて、バックパッキングでうちの奥さんと3ヶ月ずっと旅行したりして、半年位休みました。で、戻ってきて、実は一回金融にちょっと勤めたんですけど、金融は金融で勉強にはなりましたが、やっぱりこれは違うなと思いました。この世界、非常に勉強にはなったんですけどね。一回キャリアを振ってみようと、お金の話まで知ってみようと思って金融に行ってみました。
で、結局その後ワトソン・ワイアットに入る訳です。ワイアット入ったのは21年前、34歳の時になりますね。
高橋先生のキャリア 〜ワトソンワイアット時代(自分の強みを理解して差別化を図る)〜
そこから8年間ワイアットにいて、後半の4年間は社長になるんですけども、結局ワイアットは今で言うとタワーズワトソンという会社になりました。大変大きな会社になりましたね、合併合併で。
だけど、あの分野っていうのは人事コンサルのように言われていながら、実は本当にいわゆる皆さんがイメージする経営視点の人事のコンサルって、意外とどこの会社もそんなに強くないんですよ。で、ワイアットはまだ強い方で、タワーズ・ペリンとワトソン・ワイアットは日本で合併をしてタワーズワトソンになりましたが、非常に良い補完関係があって、ワイアットはいわる戦略人事、ヒューマンキャピタルのヒューマンキャピタルプラクティスと、それからもう一つ強かったのは年金の資産運用のコンサルで、タワーズ・ペリンはエグセクティブコンペンセーションと、インシュアランスコンサルティング、例えば第一生命が株式会社化するとか、非常にテクニカルなほとんどファイナンスに近いところや年金とか保険が一応テリトリーになっています。これは非常に良い補完関係になったみたいです。
ですが、年金の資産運用とかは広く言えば人事だけど、非常に特殊なそれぞれの細分化された専門分野の全体像から成り立っていますので、ジェネラルマネジメントコンサルティングとは極めて異質なんですね。ただコンサルって意味では同じなんですけが、その中間になるのはヒューマンキャピタルみたいな経営視点の人事で、これが一番ジェネラルマネジメントコンサルティングに近い方です。
そうなると、私が入った当時はジェネラルマネジメントコンサルティングから語れるコンサルタントはこの業界にはいませんでした。マッキンゼー出身者でこの業界に入ったのは、当時世界中でワトソン・ワイアットだけじゃなく競合も含めて、私以外は一人も居なかったと思いますね。ウイリアム・マーサーにもタワーズペリンも居なかった。
というのは、マッキンゼーはアルムナイの名簿が基本的には全部公開されてますから、それで一応全部チェックしたんですけど、サーチファームに行ってる人は意外といました。エゴンゼンダーとかね。年を取ってサーチファームに行く人っていうのはいるんですよ、経営コンサルで。それは何となくは分かるんですけど、人事コンサルって同じコンサルでありながら一人も行ってないわけですよ。それだけ全く異質。非常に専門特化のコンサルとマネジメントコンサルっていうのは同じコンサルでもえらい違うって事だったと思いますね。でも私が行ってからは、非常に多くなりましたね。
私が草分けだったという事は、やっぱりすごく差別化になしました。人事の事は知っていても経営視点で人事を語れる人は非常に少ない訳で、居ない訳ですから。
それでこのプラクティスを立ち上げて、上手くいって、それでこのプラクティスの責任者になって、後半4年は日本の責任者を兼任して、ヒューマンキャピタルを大きくすると同時に年金の資産運用のコンサルも私が社長の時に採用し始めました。私は全く関わりはしませんでしたけど。
そして、だんだん会社が大きくなっていったので、やっぱり4年で辞める時には何で辞めるんだって色々言われました。アジアパシフィックの責任者、当時イギリス人で香港に居たんですが、お前、何で辞めるんだと、俺も辞めようと思ったんだと、俺が辞めるからお前が俺のポジションやれって言われたんですけど、私はマネジメントがしたくないからアジアパシフィックの責任者なんてもっと嫌だって、日本の責任者だったらまだ組織も当時は40人くらいですから7割方は自分でコンサル出来て、現場が出来るんですよ、マネジメント3割でいけるんですが、もう一個上になったらマネジメントが7割方になっちゃいますからとんでもないと。
私は嫌なんだと、マネジメントしたくない、上昇志向のかけらもないんだからと、勘弁してくれと言って辞めました。
やっぱりコンサルと経営は相反する所があって、経営はやっぱり自分のオフィスのバジェット組んで、当然ですけどレベニュー増やさなきゃいけない。しかし、クライアントにどんなに金積まれてもやりたくない奴は断りたいっていう、いちコンサルタントとしての気持ちってものがすごくある訳ですよ。だから、もう社長は嫌だと思ってですね、かといって、いちコンサルに戻って誰かを社長にしてっていうのもなんだし、と思ってもう辞めて独立した訳です。
高橋先生のキャリア 〜ポストコンサルタントのキャリアタイプについて〜
独立してたまたま声が掛かって、最初KBSとかで非常勤で教えてた後、慶応大学SFCで10年間、特任とは言わないんですが、教授やってきて、今年4月1日からは10年以上は継続できないということで一旦教授のタイトルを離れて、研究所の所員という形になりました。有期の教授っていうのは必ず有期契約になってますので、10年間で有期契約の上限になってしまいました。それで、一旦はこのような形になってるんですけど、教えている事は教えていますので専任の教授になるのが普通のようでして、私も専任どう?と勧められましたが、上昇志向のかけらもない私は絶対に嫌だって断りました。(笑)
研究活動と教えることはいいですよ。それは好きだしやりますけど、金くれとは言わない。そんな大した金くれとは言わないですし好きだからやりますけど、他は勘弁して欲しい、とずっと言い続けてきて、それで10年経ったから一旦辞めてっていう事です。
けど、まぁ、やっぱり思うとあれですよね、コンサルの仕事ってザックリ言っちゃうと、まず分析じゃないですか。分析っていうのは何かを発見する、理解する、そして知るって事、そこから何かアイデアを出す訳ですよね、解決案を出してこうすべきだというものを思いつく、それをどうするかというと相手に伝える・提案する訳ですよね。伝えるだけでは不十分で、一般的に言えばそれをやらせる・実行させるという、大体この4段階をいくとするじゃないですか。で、これ全部必要なんですけど、やっぱりどれが一番はまるかっていうのは人によって多少違うと思うんですよ。それによって、ポストコンサルティングのキャリアも違うと思うんですよ。

これは勿論他の要素もあるので一概には言えないんですけど、ザックリ今の話で言うと、やっぱり知る気、ひたすら知りたいと、こういうタイプってあるんですね、エニアグラムっていう人間の動機を9分類したやつがありますが、それで言うとタイプ5っていうそうですね。とにかく一生の間に世界中の事を知りたい、理解したいっていう、こういう人はずっと年取っても勉強好きなんですよ。理解したいんですよ。なるほど、こうなっていたんだ、とか。
旅行行っても色んな事が分かるでしょ、だから発見がまた嬉しいんですね。だから飽きないんですね、一生。こういうタイプの人は学者とかにはとても良いですね。
それで、他にはアイデアを浮かばせてそれを伝えるという部分があります。こういう事を伝えたらいいよねって、悪く言っちゃえばウケを取るのが好きっていうタイプです。私はよくワイアットの時に言ってたんですけど、コンサルタントっていうのは一回のプレゼンで何回なるほどを取れるかが勝負だと。なるほどを一回いくらで売ってる商売なんだと。まさにそういう部分で発揮出来る人は、学校で教えるとか、独立してもコンサルをやるとかに向いていますね。研修の講師をやっている人も居ますね。研修講師も含めて、独立した形でのコンサルティング活動みたいなのをやるのが良いのだと思います。
でもやっぱりコンサルって、最後は相手の組織に傷跡を残して来いって、大前さんもよく言われましたね。
色々良いこと言って、向こうもなるほど、ありがたいって言ってくれたけど、何も変わらなかったっていうのは一番駄目なんだと。とにかく変えるんだと。それでなんぼなんだ、ということを大前さんはよく言いますね。
それはやっぱり最後の部分、変革のリーダーシップですけれど、これが本当に凄いドライブとしてある人はコンサルでやっていると結局自分でやりたくなるんですね。だからここが強い人は経営者になったらいいですね。

だから他にも色んなキャリアがあるけど、学者、フリーランスのコンサルタント、経営者、或いはその中間くらいが、思いついて伝えて動かすのまでちょっと行う経営企画みたいな仕事があるのかなと。左から右にだんだんそういう順番で並んでいるかもしれない。学者、フリーランス、経営企画スタッフ、会社経営スタッフ、それから経営者、更に言えばその間に雇われ経営者みたいなね、そういうのもまた入るかもしれません。そして一番最後はやっぱり、自分で創業するという風になっていくわけですよね。5段階くらいありますよね。

それで、その流れの中で、どこが自分にとって一番なのかという事だと思うんですよ。私の場合は知りたいって事と、それから伝えたいっていうことが両方柱なんですね。だから純粋な学者になろうっていう気は別にないんですよ。
ここがまたコンサルタントと学者の違う所でね。
極論するとコンサルタントっていうのは、1を聞いて10を知り100を語るっていう仕事じゃないですか、極論ですけど。それで、学者っていうのは100を聞いて10を知り1を語るっていう仕事でね、とにかく何がバリューかって事が全く違います。
コンサルタントで言えばNの数が多すぎるとロクな事がないと思うんですが、学者の世界ではNの数が絶対的に重要ですから、もう、それが十分でなければ、どんな発見だって何の価値もないっていう風に言われる世界でしょ。だから全く価値観が違うんですよ、コンサルの世界と。だから、そこに馴染めないからコンサルタントから学者になる人が少なかったんですよ。今、多少出ていますけど。少ないですよね。そこの価値観が凄く違うんですよ、やっぱり。
だけど、いずれにしても、学者というのも、知りたいってタイプの人にはいいんじゃないかって気はしますけどね。自分の場合で言いますと、知りたいと伝えたいの2つくらいがちょうどバランスしている感じですので、学校で非常勤で教えながらフリーでもやっているという今の感じに結果としてなったと言うと、非常に理屈が合っていると思います。自分のキャリアを振り返って後付的に言うとそういう事だったのかなと思います。
そういう感じですかね。
『ありがとうございました。もう全て話していただいたような感じですが。(笑)
ポストコンサルタントのキャリアとしては、大体今の4段階5段階に整理して、後は自分がどれに当てはまるかを考える、みたいなところですね。』
本当にそうですよ。
だから例えば、創業経営者になっているような人って意外と新卒でファームに入った人が多いんですよね。
南場智子もそうだし、谷村格もそうだし、あの人達みんな新卒で入って、経営者になった訳でしょ。中途で入った人はフリーランスでコンサルタントやってるか、大学で教えてる人とか、それか後はせいぜい経営企画系、スタッフ系、最初の3つまでに圧倒的に多いと思います。中途で入った人は。やっぱり上昇志向が強い人っていうのは、大企業に入ったら入ったなりに、そこで上を狙うんですよ。だけど、大企業のピラミッド組織の中で、上を狙う事に疑問を感じた、どっちかって言うと日本の普通の大企業の中だとはみ出しちゃうようなタイプの人が中途でコンサル会社に来てるような例っていうのが昔は多かったですよね。
それよりも、今新卒で入るような人達って言うのは日本の超大企業に入ろうか、マッキンゼーにしようかBCGにしようかみたいな感じで入るでしょ。だからそうやって上昇志向が強いような人が普通に入ってきちゃうんですよ。昔は、コンサル会社なんて、普通の大企業で勤まんないような奴ばっかりだったから。(笑)だから中途で入ってくる人の方が学者とかフリーランスに行きやすいっていうのがあるんだろうなぁと。新卒で入る人が大企業で勤まったり、創業経営者に行きやすい。
マッキンゼーでいうと、南場智子、谷村格、あの二人は典型ですよね。
それから新卒から入って、パートナーまでマッキンゼーにずっと居て、経営者になったっていうのが一人いるんですね。彼が珍しいパターンですけど、ファンドから送り込まれてアスキーの建て直しの時の社長をやって、一時期クラシエの社長もやって、小森哲郎さんっていうんだけど、彼は新卒、確か理系で早稲田の理工でそこから院を出てマッキンゼー新卒で入って、パートナーまでずっと居て。新卒から入ってパートナーまで居て経営者におなった第一号じゃないかと思う。
もちろん南場智子も一回パートナーになっていますけど、彼女は一回自分で辞めて、HBSには自分で行ってるんですよ。で、帰ってきてまたマッキンゼーに入ってるんですよ。出戻りしてるんですね。
でも彼女は、出戻って来てパートナーまでなったんだけど、やっぱり自分で創業したでしょ。
そういう感じの人達って言うのは新卒系が多いんですよ。創業経営者ないしは、企業経営者ですよね。
中途からの人はやっぱりフリーランスなどが多いかなと。これからは変わるかもそれませんけど。
今後について
『わかりました。ありがとうございます。ほんと面白い話が聞けて。
ちなみに、今後はどのようにお考えですか?』
今後どう考えるかですよね・・・
やっぱりワークライフでしょうね。
生涯現役っていう言葉の中で、一生涯仕事やり続けたいという人って、両極端の両側に結構居るんですよ。例えば、学者って一生学者やりたい人って居るんですよ。あれは誰か親分が居るわけではなく、好き勝手に出来るので、悪く言えば子供がそのまま大人になったような人が多いんですよ、学者って。学者の世界しか知らない人って本当に外から見るとビックリするような人が沢山居るんですけど。だから逆に言うと一生やっていたいって感じでしょ。あと反対側の極端の経営者なんてのも元々仕事が好きで、創業経営者なんて特にそうでしょ。一生何か経営に関わっていたい、みたいな部分があるから経営者になるんでしょうけど、このように両極端なんですよね。
それで、真ん中くらいの人は必ずしもそうじゃない人っているんじゃないかと思うんだけどね。私は仕事以外にも楽しい事が世の中には沢山あるんで、仕事だけで人生終わりたくないという感じはありますよね。ただやっぱりドライブ的に言うと2つのドライブをどう生かすかって事なので、私が持つ「知りたい」というのは非常に大きなドライブなので、これはプライベートでも全くそうなわけですよ。知りたいっていうドライブは、例えばプライベートで本当に知りたいって人がハマると一番ハマるものの一つとしてはワインとかね。深いですよ、あの世界を全て理解しようとすると。単にバブリーでやる人もいるんですけど、そうじゃなくて本当に知りたいと思うと一番ハマるのはブルゴーニュとかね、ハマるとヤバいですよね、やっぱり行きたくなるんですよね。現地に行って全部そのワイナリーに行って、ワインメーカーと会って、見て、畑を全部見てなるほどとかね。やりだしたらキリがない。今度あそこ行かなきゃとかね。
だから、そういう意味からいくと、知ったことがどこで使えるか、逆に意外にもそういう知ったものが仕事でアナロジー的に使えたりとか、発想的に意外に使えたりする部分もあるので、仕事以外にも楽しいことを知りたいというのはありますね。
それから、もう一つの伝えたいっていうのは、やっぱり大学で教えることが当然あるわけですし、大学以外にも社会人教育とか、中身は何であれ何かで発信するという事をしていきたいって気持ちはやっぱりありますよね。
だからそれは本当に、仕事かどうかの境目っていうのはだんだん難しくなってくるんですね。どっちなのかを見てると面白いんですよね。お金の為にやる仕事、当然の対価を貰って、ビジネスとしてやる仕事ていうのがあるとすると、例えば大学っていうのはそんな事を考えるととてもじゃないけど馬鹿馬鹿しくて出来ないわけです。 で、大学だけじゃなく、はっきり言ってほとんど金にはならない、だけど、仕事的な内容のものがあったり、逆に全く仕事的な内容が無いボランティアみたいなものがあったり、社会活動に近い物があって逆にお金払って遊ばせて貰うっていうものがあったり、みたいな。そういうのを考えてみると、ワークとライフはずっと連続しているんですよね。
だからスパっと、100%ワークだったものが100%ライフになるなんて事は、きっと人生として大変だろうなって思うんですよ。私はフリーランスだから徐々に色んな事を徐々に徐々にバリューを変えていく、ワークだったことをライフに徐々に変えていく事が出来るわけです。
例えば今沖縄で県庁の仕事をしています。若者の就労意識の改善とか、経営者の育成とか、非常に大事な問題なんですよ。失業率高いですからね沖縄は。沖縄のいわゆる雇用戦略の問題で色々お手伝いしています。ですが、県庁の仕事なんてのは当然ですが殆どお金にならないという事に近い。だけど、何でそんなことやってるのというと、今までのキャリアが生きてる仕事なんですよね。お金には殆どならないんだけど、やりたいんだからいいじゃんと、何故と、だって沖縄好きなんだからいいじゃんと、別に沖縄が好きだっていうのは、色んな意味でそうですよ。ダイビングが趣味ですし。(笑)そういう仕事の比重を少し増やしてるんですよ。
何故かって言うと、私のテーマって考えてみると、大学の頃から理系でありながら、人は何故組織で働くのかっていうのに興味があったんですよね。今そういう研究会もやってるくらいで。リクルートのワークス研究所と一緒にキャリアの研究とかずっとやってて、キャリア観、仕事観、人間っていうのは、仕事とは、キャリアとはみたいなものを、どんな影響で、どのように形成してきたのかって過去からの歴史がある訳ですよ。プロテスタンティズムと資本主義の精神みたいな話だとかね。それが今の日本でどうなってるのか、世界ではどうなってるのか、これからどっちの方向に行くのかみたいな研究会を今やってるんですよ。
何故働くのか、ということに元々若い頃から興味があったんですよね。
さらに、もうちょっと言うと、私は元々ピラミッド組織が嫌いなんですよね。(笑)
そういうものが必要だっていうのはもちろん分かりますよ。鉄道が正確に安全に運行する為には、絶対にピラミッド型の組織って重要なんですよ。それは間違いなくそうなんですが、私が好きじゃないんだからしょうがないだろっていう本題がある訳です。
もうちょっと言うと、日本型の家の事を放っておいて会社の為に頑張って単身赴任までして、会社に言われた通り頑張り続けるという人生の送り方が非常に私は好きじゃなくて。それからアメリカのように、アメリカでも上昇志向が強くない人はいくらでも居るんですけど、いわゆるアメリカ的なイメージで言う上昇志向・ドリームを追うみたいなのが全く私は好きじゃないんです。私はヨーロッパが一番好きなんですけど、ヨーロッパの人生の送り方って凄いなと思います。だからリゾートもヨーロッパの人が多いリゾートが一番楽しいですね。リゾートとして大人ですよね、と思うんです。
そうやって見たとき沖縄だけは日本の中で価値観が違うんですよね。日本の中の外国ですね。琉球王国として全然別の国だった所なんで、ありとあらゆる意味で日本の持っている強さがない部分もあるんですけど、逆に良くない部分が薄いという部分でも非常に日本の他の部分とは特異なんで、物凄く興味があるんです。だから沖縄の人達が、つまり製造業に頼れない沖縄の人達が、これからどうやって満足度と経済成長を両立させながら頑張っていく事が出来るのが出来ないのかっていうのは、物凄い日本の将来にとっても参考になるだろうというように思います。これは真面目な話なんですけど、気持ちもあって非常に異質な沖縄に興味を持ってやっているという訳ですね。
それと別にこの歳になると、もうお金の為に稼がなきゃいけないって気持ちもないので、うち大体子供もいないですし、お金掛かるとかあんまりないんで、別にいいかなと。こういう感じになってきてるかという感じですね。
『分かりました。
まぁ、今の団塊の世代の方々が皆さん苦労されてるんで、そういう意味では励みになるような話しですね。』
いや団塊の世代なんかも勿論そうでしょうけど、私の高校の同期なんかで例えば某大手企業で常務になってる人がいますけど、彼と話すと勤めはもういいよって感じなんですよ。非常にハングリーな人は別だと思いますよ。だけどうちの高校ハングリーな奴殆ど居なかったからね。勤めでそんなに偉くなった人間がのびのびやりたいみたいなね。
でも、人生これから長いからそう思いますよ。少子高齢社会って事は何らかの形で、私たちは80歳、90歳まで社会に関わっていかなきゃいけないと思った時に、人生は会社人生一つしかないなんていうのはやっぱり寂しいですよね。
『よく電車なんか乗っていても、そのくらいの50歳代位の方がかなり不機嫌な方が多いですよね。』
そうそう。アンハッピーそうですよね。
それから60代70代の人でもおじさんアンハッピーそうな人が多いですよね。
何がそんなに不満なんだよ、みたいなね。(笑)
『電車なんかでもドア開いて降りる時に避けないですよね、その世代は。』
そうそう。
で、一方で一握りの成功者が居るじゃないですか、そいつらは今度は偉そうになってるんですよね。不満そうになってるか偉そうになってるかどっちかだね。
だから95%が不満そうになって5%が偉そうになるんだね。
だた女性はどうかっていうと、ただ図々しくなるとか、おばちゃんはおばちゃんでまた図々しいでしょ。(笑)
『それは昔からかもしれないですけどね。(笑)』
だから歳とったらこの3つしかないのかもしれないね、図々しくなるのか、不満そうになるのか偉そうになるのか、どれも見たら入りたくないじゃん。そう思いますよね。(笑)
もうとにかくね、日本は年功序列なんだ、とか言うんですけど、言ってる割には出世しなかった年寄りは酷い目に合わせるんですよね。
全くおかしいじゃんと。
『で、自殺も3万人を超えたとか言ってますけど、それも関係あるのかもしれないです。』
ちょっと壊れてきてますよね。本当に。
『ちょっとおかしいですね。
ちょっと話がそれてしまいましたが、うちに相談にいらっしゃる方は20代後半から30代位の方が多くてですね、やはり仕事に関してかなり悩まれてる方が多いんですけど、冒頭でおっしゃったようにグダグダ悩んでもよく分かってないんだからしょうがないだろうって話もあるかと思いますが。』
今は仕事に悩むのは仕方ないでしょうね。色んな意味でこんなはずじゃないとかね、それはあると思いますよ。私も考えましたよ。
それは今コンサルの人が多いんですか、コンサルに行きたいという人が多いんですか?
『両方いますね。
量的に言えばコンサルってそんなに量が多くないんでこれからコンサルに行きたいとか他から転職したいという方が多いんですけど、そういう方々の中には将来は起業したいんだけどもって言う方もいます。でも何やっていいかわからないからコンサルに行くとネタが見つかるんじゃないかと。いやそれは無理ですよ、っていつも言ってるんですけどね。』
起業っていうのは普通の人には出来ないですよ。
ある種の達成動機とか上昇系の動機とか、物凄くトップ1%か2%に入るくらい強くないと、やってて不幸になりますよ。出来る出来ないではなく、誰もがやって楽しい仕事ではないと思いますよね。
『そうですね。
そこが分からず、いい学校入って、いい会社に入ってみたいなライン上に起業があるようなね。』
そこばっかりじゃダメだからもう一つが起業みたいなね。
だけど最近慶応なんかで見てるとSFCの学生なんかだとやっぱり圧倒的にNPO系に対する興味が大きいですよね。だから社会起業家とか出るんですよ。世界的にもその傾向にあるんですよね。優秀な人が社会起業家に行くっていうね、いいことだと思いますよ。
『おそらくその世代の方がスピリチュアル的に進んでるんじゃないでしょうかね。
逆に早く社会に出ちゃった人の方が古い価値観だったりしてね。』
それはあると思いますよ。
もうビジネスの世界で一時やっぱりITバブルがはじけたあたりで、そういう発想の転換があったみたいなんでね。
『そうですね、わかりました。』
だから起業は、勿論するのはいいですけどね、向いているかどうかを良く考えた方がいいですよね。
『そうですよね。
先ほど仰ってた5段階だとか参考になるんじゃないかと思います。』
絶対に組織を動かすっていうような、そこに情熱を入れられない人は起業は出来ないですよね。
いくら理屈言っても何言っても、ダメなんだと、要は動かなきゃダメなんだという人じゃないと起業は出来ないですよね。
『必然が必要ですよね。』
全てが秀でた人はなかなか居ませんからね。
『そうですよね。わかりました。ありがとうございます。』
20代のキャリア形成について
『折角ですので質問よろしいでしょうか?』
はい。
『先ほど40代50代の方の話がありましたが、あの世代の登録してくる方々が最近増えてきてて、40代50代の方で、キャリアの形成にもう結構行き詰っちゃってるような人って結構多くいるなと思っています。終身雇用を頼ってキャリア形成を自ら行ってこなかったがための犠牲者なのかなと思いますが、その一方で、20代30代の若手の方を見てきても、キャリア形成という観点では意識的にはほとんど変わらないんですよね。だから20代30代の方でキャリアや働くということについて、今のうちに変わっていかないと今の40代50代の方と同じような道に行くんじゃないのかという危機感があります。このような20代30代の方々をどのように意識付けしていくと良いかアドバイスをいただけませんでしょうか?』
20代の方と30代の方って随分また違うんですよね。
20代は、今だいぶ歳くってきてるから、せいぜい社会人経験5年以内位が殆どでしょ。それくらいだとやっぱり、それ越えて30代でだいぶ分かってきてというのでは違うと思いますよ。
ざっくり言うと、やっぱり私も29歳でマッキンゼー入った訳ですけど、自分が何に向いているかって仕事しないのに分かるわけないんですよ。(笑)20代はそういう時期だって思った方がいいんですよ。
だから20代って、やっぱりキャリアの根っこを太くしなきゃいけない時期なんです。やたらここで狭めちゃうと後でキャリアの広がりがなくなってしまいます。だから色んな経験をした方がいいし、試行錯誤した方がいいんですよ。最初から自分に向いてるものがたまたまあった人はラッキーですけど、そうじゃなかったら変わればいい事だし、試行錯誤して、模索して自分の根っこを作っていく時期なんだろうと思うんですよね。
その上で30代っていうのは、どこかこれをやりたいなって思ったことを一気にガーっとやっていくい時期なんじゃないかなと思うんですよね。自分の突破力でね。自分の得意技でね。
そして40代50代になると、それだけではなく人間的な幅みたいなものとか、いわゆるポケットの多さとか、そういうものが勝負になってくる時代になる。そのような意味ではキャリアっていうのは当然ですけど、変わってくる訳ですよ。だから、40代でよくあるのが40代の最初に中年の危機が来ると言われています。男性の場合と女性の場合で年齢が違いますが、いわゆる男の厄年42歳とか、発達心理学で有名な概念です。要するにアイデンティティクライシス、俺って何なんだ、みたいなことになると言われています。
40代になると色々な幅の能力を求められるようになります。そして色々な自分の不得意を一生懸命直そうとして自分の利き手じゃない方の手も使ったりしてるうちに、自分は何なんだ、って事が分からなくなってきちゃう時期が40代に一度来て、そこでアイデンティティを作り直さなきゃいけない時期が来るということが発達心理学で言われています。
結局はその繰り返しなんだろうと思うんですよ。結局自分はどんな人生を送っていきたいのかという事がその繰り返しの試行錯誤の中で徐々に徐々に見えてくるという事だと思うんです。だからその中で、キャリアというものを、あんまり目的合理的に考えない方がいいという事は、私はいつも本に書いてるんですけど、あると思うんですよ。ですから20代の時は自分が何が向いているかなんてのはやってみなきゃ分からないんですから、キャリアが広がりそうなことをどんどんやるべきだと思います。
ただ、今の学生とか20代の人達を見てて非常に思うのは、2つの危険なタイプがあって、1つは青い鳥型というもので、結局自分を幸せにしてくれる王子様ようなものがある、だから自分探しの旅に出るという感じのものです。最近友達の子供でも居るんですよね。お前の息子大学出たはずだよな、どうしてるのって聞くと、ミュージシャン、とかね。お前それじゃ食えないだろう、母親は何て言ってるんだって言うと、追っかけやってる、みたいな。(笑)大丈夫かよって言うと、だって本人がやりたいって言うから、って。やりたいって問題じゃないだろうって言うと、やりたい事をやれって言ってやったんだから良いじゃないかみたいな傾向があるんですよ。
だから私はそういう人達に言ってるんです。好きだったら食えなくてもいいじゃないかって言いますけど、お金っていうのは価値を生み出してるから貰える訳でしょ、人様の為になるから貰える。自分が楽しいんだったらお金貰えないんですよと。それが両立出来れば一番いいんだけど、それはなかなか普通の人には難しい。もちろんお金にならない事は意味がないとは言いませんよ、だけど人様の為になるから価値を与えるから貰えるわけです。社会というのは皆が分業して色々な所で価値を作っていかないと成り立たないわけですよ。だから憲法の3大義務の中に労働の義務っていうのがあるわけです。だから働くこと、お金を稼ぐ事は義務なんだよ、そもそも楽しむなんて甘いんだよ。それをある程度楽しめたらラッキーだっていう風に考えないといけないのに自分探しに入っちゃうんですよ。
『あぁ、ありますね。』
もう1つは過度な功利的キャリアです。凄く具体的な。最近の学生でも、何になりたいのって聞くと、パイロットになりたいです、とか言う奴が居て、確かに昔からそういうのはありますが多くの場合が夢でしたよね。しかし今は、どうしてって聞いたら、あれだけちゃんと金を稼げてるのに、にも関わらず、会社の言いなりにならずに資格でメシが食えて、且つ休みがちゃんと取れる、そういう仕事は滅多にないと、医者は金は稼げるけど大変だから、パイロットが一番いいと、いざとなったら会社潰れても他に行けると、だからです、って言われてガビーンって。(笑)昔そんな事言ってパイロットになりたいなんて奴居なかったよって感じじゃないですか。だからその為にはどうしたらいいかというと、いつまでにこうやってああやってこうしたら一丁上がりで勝ち組になれるみたいな、物凄く計算づくの功利的キャリア観を持ってる人達がいます。
この2つの両極端がいて、このどっちにも酷い目に遭うぞって言いたい訳ですよ。
ですので、こういう風に思わないで、キャリアっていうのは習慣が作るんだよ、と言ってます。色々な意味で良い習慣をたくさん身に付ければ、結局道はおのずと開いていけるんだから、今は見えないからといって変なことを考えるなと。キャリアを例えるならば富士山じゃないんだから。富士山だったら登る前から頂上見えるんですから、キャリアというのは富士山じゃない。どっちかと言うと北アルプスの奥の山登るみたいな、登山口から頂上は見えない、だけど登らない限り見えて来ない。最初は藪の中で景色も分からない中に入っていくしかないんですよ。常に頂上が見えてなきゃ登れないんだったら最初から山なんて登れないでしょう。
でも正しい道に行くんだと信じて登って行けば必ずどこかでパっと開けてきて、でも、頂上だとおもったら違った、ここじゃなくて向こうだったんだ、っていうのが見えてきて、また方向を修正して今度はこそは正しい道だと信じて登って行く、という風な事なんじゃないかなと思います。
そう思って日々いい仕事をして欲しいなと思いますね。
『なるほど。若い方へのメッセージを最後にありがとうございました。
本日は本当にありがとうございました。』

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Teach For Japan代表 松田 悠介
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'09年 4月